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2020年1月2日

はらだおさむ『米谷村の歴史』

「米谷村」の歴史はいつからはじまるのか。「もうひとつの米谷村」が存在するのはなぜか――。古文書のめくるめく世界へようこそ。
70歳を過ぎてから古文書の世界に足を踏み入れた原田さんが、平成24年〜25年に、その成果として「宝塚の古文書を読む会」会誌『源右衛門蔵』に発表された、安土桃山の末から江戸時代初期の米谷村の歴史に関する論考2編。「もう一つの米谷村」「ふたつの米谷村」。
〈本文の一節〉

当地に移り住んでから、半世紀余が過ぎた。
清荒神の駅から登り八分下り六分(若いころ)の、標高七十余メートルの高台に格好の土地を手に入れ、子供の成長につれ建て増し、リフォームを繰り返した。
子供たちがまだ幼いころは、休日に犬の散歩に裏山の〝うさぎやま〟に出かけ鎖を外して飛び跳ねる犬を追いかけていた子供たちの姿が目に浮かぶ。その周辺も数年後に家が建ち並び、いまでは高速道のトンネルの山頂まで住宅群が連なる。

米谷村の歴史

著者:はらだおさむ
制作年:2018年
仕様:A5判 48ページ 中綴じ
著者プロフィール:清荒神在住。宝塚の古文書を読む会会員。70歳を過ぎてから古文書を読み始める。NPO大阪府日中友好協会相談役。大阪歴史学会会員。著書に『徒然中国 みてきた半世紀の中国』(2014年、桜美林大学北東アジア総合研究所)、『古文書徒然』(2019年)ほか。(2020年8月)