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2020年1月2日

山崎利恒『私の少年時代の宝塚』

明治43年生まれのお医者さんの著作を復刻。知らなかった宝塚がここにある。
山崎利恒(としひさ)さんは、清荒神の江戸時代から続く「山崎医院」の先代の院長で、故人です。その山崎さんが生前に残された、多くの文章の中から宝塚に関する随筆「私の少年時代の宝塚」、宝塚空襲の際にその現場で医療活動に従事された記録「終戦四十年を迎えて」、祖父山崎僊司氏が宝塚温泉の開設に関わられた話「宝塚の由来と宝塚温泉」の3編を、ご子息で現院長の山崎之嗣さんの許可をえて、復刻しました。
〈本文の一節〉

私の少年の頃の宝塚の思い出を書いてみよう。私は明治四十三年生れであるから、私の生れた年に現在の阪急宝塚線が箕面有馬鉄道として開通した。大正二年には阪神急行電鉄と改められている。
開通二年後の明治四十五年(大正元年)に宝塚新温泉余興場が建てられ、宝塚小女歌劇が上演された。その頃の名優として雲井浪子、天津乙女、篠原あさじ、高峰妙子、滝川末子等の人達の名を覚えている。…

私の少年時代の宝塚

著者:山崎利恒
制作年:2015年
仕様:A5判 36ページ 中綴じ
著者プロフィール:清荒神の江戸時代から続く「山崎医院」の先代の院長。明治43年生まれ。医院を現院長の山崎之嗣氏に譲られた後、医学とその歴史に関する研究や山崎家の先祖に関する研究、米谷を中心とした宝塚の歴史に関する研究を中心に、多くの貴重な文章を遺す。(2020年8月)