鈴木博『ウィルキンソン・タンサンと宝塚』
〈本文の一節〉
ウィルキンソン・タンサンの創業者で英国人クリフォード・ウィルキンソンは、明治22 年頃狩猟の途中に立ち寄った宝塚の武庫川の傍らで鉱泉を見出し、瓶詰めにして炭酸水を発売することを思い立ちました。宝塚・紅葉谷に工場を設け、後に販売拡大により供給能力を増強する必要性が生じたため、明治 37 年武庫川沿いの生瀬(現西宮市生瀬武庫川町)に工場を移転しました。生瀬は、工場建設当時、有馬郡塩瀬村に属していましたが、ウィルキンソン・タンサンは生瀬の工場を「宝塚工場」(英文では「the works atTakaradzuka」)という名称で使用し続けました。これは、発祥の地が宝塚であったこともありますが、風光明媚で保養地でもあった宝塚を打ち出した方が飲料販売にとっては有利であると判断したためだと思われます。…
ウイルキンソン・タンサンと宝塚
著者:鈴木博
制作年:2016年
仕様:A4版 40ページ 無線綴じ
著者プロフィール:1953年生まれ。1975年関西学院大学社会学部卒業。1975年南海電気鉄道株式会社入社。2000年頃より、宝塚及びウィルキンソン関係の資料を収集。宝塚市在住。(2020年8月)